上野の雑踏にありながら別天地の徳大寺。戦国武将と摩利支天のこと

2016年5月22日ライフスタイル

上野アメ横を歩くと、フルーツ、海産物、乾物、輸入食品、お菓子などのお店がひしめき、お店の人の威勢のよさと軒先を渡り歩くお客さんの渦に飲み込まれそうになります。

摩利支天を祀る徳大寺はそんな人通りの多い場所にありながら、石段を上がると、それまでの雑踏がウソのように思える場所。

摩利支天は「力」の神様。
徳大寺によると、「気力・体力・財力」を与え、「厄を除き、福を招き、運を開く」、諸天善神の中でもっとも霊験が顕著な守護神。
勝負事にも力を貸してもらえると言われます。
ゆえに、スポーツや賭け事、投資をする人たちが篤く信仰しているというウワサ。

摩利支(Marīcī)とは「陽炎(カゲロウ)」を意味し、神格化したもの。摩利支天がその背に立っているのは猪ということもあり、毎月「亥の日」にお参りに来る方も多いそうです。

さて、戦国武将にとって軍神と崇められた神では、毘沙門天が知られています。
とくに武田信玄、上杉謙信の毘沙門信仰は有名。
軍旗や兜に軍神の名を記し、戦場にも像を運ぶなど、彼らは崇敬を怠りませんでした。

当時の戦は生きるか死ぬかの場。

人命がかかっていることから、現代よりはるかに祈りも身を削って行うものだったに違いありません。武将たちの心のよりどごろは天のご加護を願う軍神を篤く信仰し、祈りを捧げ続ける行為にあったのではないでしょうか。

上杉謙信は神仏を厚く信仰したことで知られる武将ですが、この方の願文には「まりし天」と書かれ、摩利支天を軍神として敬っていたことがわかっています。

出陣の際には髷の中に摩利支天の像を入れた武将もいましたが、『中原高忠軍陣聞書』には、出陣前には摩利支天の真言を唱えることが書かれ、摩利支天の場合は真言(呪文)が意味を持っていたという説があります。

また、『兵具雑記』でも具足のお守りに、摩利支天の四文字を一文字ずつバラして、決められた袖や馬に付けることが書かれています。

摩利支天は文字あるいは真言(オン・マリシエイ・ソワカ)を唱えることで、お力をいただけるということでしょうか。
これは、摩利支天がまぶしすぎて姿が見えない、その姿が明白ではないかといわれていることにも関係しているような気がします。お姿を拝みたくてもかなわないのなら、祈りは文字もしくは真言を唱えることで願いが届けられるだろう・・・そう、信じられていたのかも。

「あらゆる難を免れ、何者にも見つけられず、何者にも害されない」という摩利支天は、なんとエキセントリックな神(天)だなと思う次第。

参考資料「呪術と占星の戦国史」(小和田哲男、新潮選書)

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