水はよどむと濁る。絶えず流れることで運も開ける

2016年2月22日ライフスタイル

タイトルの「水はよどむと濁る。絶えず流れることで運も開ける」という言葉。

これは尊敬する編集者の女性からおしえていただいたもので、直木賞作家の色川武大がエッセイに書いた言葉だそうです。

水がよどんでいる状態。
それは「自ら動きたくないとき」ともいえるかも。

家の外にも出たくない。
誰にも会いたくない。
いわゆる「引きこもり」のとき。

もし自分が磁針だとしたら、ずっと同じ場所にいると極に傾くこともなく、その場だけでしか反応しない状態に。
ってことは、新しい考え方や視点を変えるような新鮮なエッセンスが入りにくいってことかも。

「インターネットで情報を仕入れているからいいもん」

ナンテ言う人もいるかもですが、自分をとりまく人間や環境という極や磁力に影響され、お互いの力が何かに向かって働くからこそ、モノゴトが生まれるように思います。←仏教のコトバでいえば「縁起」というのでしょうね。

ただし、引きこもっている最中に何かをはじめ、コツコツ継続すると、後で花が咲くこともあるので、引きこもりが何かを生まないわけではないのですが。

引きこもる原因となったモノゴト、あるいはヒト。
そのときは引け目や負い目、憎しみ、あるいは劣等感を感じることもあるでしょう。

けれど「災い転じて福となす」というコトバがあるように、なにがきっかけで、どんなふうに転ぶのかは人智では計り知れないものがあるのも事実。

時として「あの時のひきこもったおかげ今がある」と感謝に変わることもあるのが人生です。オモシロイですよね。

ある人はそれを「勉強」といい、別のある人は「タイミング」といい、さらに他の人は「悪魔のコスプレをした天使」などといいます。

そして引きこもっている間、自分を複雑にさせている劣等感が実は「個性」だったことに気がつく場合もあります。

実際、自分の劣等感を「清水の舞台から飛び降りた」いきおいで誰かに告白すると、イスからズリ落ちそうなぐらい、大変あっさりとした反応がかえってくることがあります。いや、実際、そっちの反応の方が多いかも。

つまり、あなたの悩みは他人にとっては「どーでもいいこと」だったりするわけです。

これも、家から外に出て、人や外気という極あるいは磁力にさらされてみないとわからないこと。

モノゴトって、俯瞰して眺めてみると、ただ「在る」だけで、 自分の好みで良し悪しを色付けしているだけという・・・。

さて、色川武大のいう「水を濁らせないため」には循環が必要で、それは自ら動くということが一番の処方箋かと。

色川武大は「雀聖」と言われたほどの麻雀師であり彼自身も、雀鬼こと桜井章二氏のように「運」について思い澄ますことも多かったのではと思います。

「水はよどむと濁る。絶えず流れることで運も開ける」も、麻雀や作家活動を通して、天と地の間にあるものの脈をたどって行き着いた哲学の1つなのでしょう。

この色川武大の言葉をおしえてくださった編集者Sさんは「原稿は数年待ち」の某大御所作家を口説き落としたことで伝説になった方。
しかし、実は皆の知らないところで、その作家に心をこめて原稿依頼の手紙を何通も書き続け、好きなお菓子をさりげなく届けるという努力と心配りを重ねていらっしゃったそうです。

水をよどむませることなく、絶えず動いていらっしゃったSさん。
そんな彼女がおしえてくれた言葉だからこそ、重みがあり、響くのだと感じます。